作家略歴 |
三俣 元
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1974年 |
東京に生まれる |
2001年 |
日本写真学園卒業 |
2003年 |
東京綜合写真専門学校研究科卒業 |
個展 |
2001年 |
The wall PLACE M |
2002年 |
Standing コニカフォトプレミオ |
2003年 |
Before day フォトギャラリー ジー |
2004年 |
自己との対話 ギャラリー山口 |
2007年 |
光の午後 ギャラリー山口 |
グループ展 |
2005年 |
HARUTOARI-9展 ギャラリー山口 |
2007年 |
アート・ジャム・ギフト展 ギャラリー山口 |
2007年 |
かおかたち展 ギャラリー山口 |
2008年 |
第4回アートジャム展『人形』 ギャラリー山口 |
作家コメント −見つめる人−
今回の作品は、昨年9月におこなった前回の個展と作り方もほぼ同様で、冷たい風が吹き止む3月頃から、梅雨入り前までの約3ヶ月間、渋谷にある公園の一角でセットを組み、街ゆく人に声をかけ、8×10カメラで撮影した。
僕が大型カメラを使用している大きな理由の一つは、その大きなネガから生み出される、情報量の多いプリントの質にあると言ってもよい。
加えて、40センチ四方の木箱で作られた、現代の写真機とはかけ離れたデザインも僕は気に入っている。実際に8×10カメラを持ち街で声をかけると、軽量化の流れに反したこの大きさで、どのように撮影するのかという好奇心から許可をしてくれる人も少なくないと思う。
また、このカメラは「自分の作品として撮っています」と説明する僕の言葉に信憑性を与え、インターネット等で悪用されるかもしれない、という警戒心を溶かす力がある。
僕は写真学校時代から人物を撮り続けてきている。同世代の人たちを撮ってみようと思い始めたが、被写体の人たちと僕は、同じ世代でなくなっていることに気づく。当たり前のことだが、人は歳をとる。
ではなぜこの世代の人たちに興味を持ち、この視線・姿を写真に納めるという行動に至っているのか。なぜ自分の内に在るさまざな記憶や感覚を刺激されているのか、明確な答えを未だに見つけられていない。
しかし僕は、人物に関わる写真、人の姿に興味があるのは確かだ。
人の成り立ちの根源的強さ、壊れやすさ。
あるいは人が成り立ってしまう前の不安定感、混沌、強さ。
それらをすべて含んだ一人の人間としての存在。
人を一瞬の時間で枠に留めてしまう写真という手段を用いる事で、もっと普遍的な長い時間の流れのようなものを表現できるのではと思っている。
遠くを見つめる視線が外の世界に向かっているのではなく、自分の深い内側へと沈黙しているような眼差しが目の前を通り過ぎようとする時、とっさに声を掛ける。そして、その人が見つめている深い内側へとスリガラスとレンズ、被写体の視線をぬけてフィルムに焼き付けようと試みるのである。
撮影が終わると、すべての光が閉ざされた暗室でフィルム現像をおこない、赤暗い光の下、プリント作業に入る。現像液の中でゆらゆらと揺れる印画紙の真っ白な乳剤面に、こちらを直視する眼差しが浮かび上がってきた瞬間、レンズとスリガラスという8×10特有の空間をぬけ二人が視線を合わせた時に感じた、あの高揚感にも似た思いを再び覚えるのである。そしてその思いは、しぼむことなく年々少しずつ大きくなり、これは僕の仕事であり、現在なのだ、という気持ちが波紋となって僕を支配していくのである。
2008年 秋 三俣 元