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2008年4月26日(土)-2008年4月29日(火) 会期中無休

ギャラリーメスタージャ第Ⅳ回企画展

performance art festival

小東亜共栄軒08

Small East Asia coprosperity Restaurant 08

イベント内容  作家紹介

写真
(c)Chaw Ei Thein
ロンドンに亡命中の友人Htein Linと。
「ニューヨーク・タイムズ」2007年8月13日号より

開催日
4月26日(土曜日)Vasan Sitthiket (ワサン・シティケット/タイ)、川端希満子
4月27日(日曜日)李文(リー・ウェン/シンガポール)、Chaw Ei Thein (チョーエイ・ティン/ビルマ)、荒井真一
4月28日(月曜日)舒陽(シュー・ヤン/中国)、劉るーしゃん (リュウ・ルーシャン/中国)、田上真知子 
4月29日(火曜日/昭和の日)段英梅(ドゥアン・インメイ/中国)、KUM Soni (クム・ソニ)、陳進(チェン・ジン/中国)

各日19時開演
*各日ともパフォーマンスの後に来日アーティストのレクチャーと懇親会あり。
入場料:1日券1500円、4日券3000円 (当日会場でお支払いください)

来る4月26日から29日、ギャラリーメスタージャは荒井真一との共同企画により、東アジアで活躍する先鋭的パフォーマンスアーティスト8人と日本人アーティスト3人によるパフォーマンスフェスティバルを開催いたします。




 

イベント内容

パフォーマンスアートは1970年代前半から活発化した美術表現です。
この表現方法は1990年代、特に東アジア地域で独特な発展を遂げたように思います。

それは美学的な表現の枠を超え、社会、政治と相渉り、個人的な表現はもとより、コミュニティに根ざした表現を模索していったからです。そのため美術の一ジャンルという隘路に迷い込むことなく、おおらかで、楽しく、しかも現代の生活に批評的でもある表現となっていきました。それは、民俗芸能(芸人)、政治的デモンストレーション、コミュニティの祝祭をも含んで止揚するような表現になっているともいえます。

しかし、今まで日本の美術ジャーナリズムやマスメディアではその側面がちゃんと紹介されてきたとは思えません。というのは、80年代後期の「(日本以外の)アジア美術はエキセントリックで、エネルギッシュ」という紹介に見られる「オリエンタリズム(サィード)」を通した視点や、日本の現代美術が90年代以降、欧米のアートマーケットに本格的に参入していく中での商業的視点では、その側面をすくい取ることができなかったからです。

今回、紹介する8人の作家は、東アジアの各国で社会、経済、政治、ジェンダーの問題にパフォーマンスアートを通して(も)取り組んできました。そのため日本では「社会派とか政治的」とくくられてしまうような表現だと思います。そして「社会派とか政治的」であることが芸術的価値を貶めるという感想を実際「大東亜共栄軒」(06年に開催)の際に何回か聞きました。政治や社会問題は新聞、テレビで政治家や評論家が語ったり、市民運動がかかわるものだ。 またカルスタの学者だけがアカデミックにポストコロニアリズムを語ることができ、フェミニズムについてもしかり(だから芸術家は芸術に専念したほうがよい)というのは確かに「心地よい」でしょう。しかし明治時代、近代的なはずの文学者(芸術家)たちが大逆事件に対して金縛りにあったかのように「無口」になったとき、石川啄木は「時代閉塞の現状」を書きました。「社会派とか政治的」という言葉を聞くとき、私は啄木と同じ閉塞感を感じてしまいます。「パフォーマンスアート」には「サバイバルアート」という別名があることを書き添えておきたいと思います。

東アジア各国での「不気味なナショナリズム」の勃興を目にすることが多いなか、このささやかなフェスティバルが東アジアの作家たちと観客との交感、交流の場となる「小さな屋台」となることを願っています。

また、このフェスティバルは「ギグメンタ2008ー美学校1969年の現在ー展」に参加しております。(荒井真一)




作家紹介

Vasan Sitthiket (ワサン・シティケット/タイ)
1957年生。男性。画家、反体制フォークシンガーでもある(CDもたくさん出している。南正人に風貌がそっくりで、知り合い)。1998年からタイの国際パフォーマンスアートフェスティバル「Asiatopia」の実行委員。またタイ芸術家党評議員(07年認可済み政党)。タイ芸術家党は日本で秋山祐徳太子が都知事選で行ったバイタリティとユーモア、ヨーゼフ・ボイスがドイツ学生党で行ったユートピア的コンセプチュアリズムをもろともに体現しようとする党。タイの反体制活動のTシャツの多くを手がけ、それらが1000枚になったことを記念する展覧会も開かれた。

陳 進(チェン・ジン/中国)
1964年生。男性。2000年に舒陽、朱冥と中国初の国際パフォーマンスアートフェスティバル「OPEN Art Festival」を開催。以後毎年継続、07年には8回目を迎えた。01年フィンランド「EXIT」フェスティバルに参加。3mの高さから当時の国家主席のポートレイトに小便をかけ、その後そこから飛び降りるというセンセーショナルな作品を発表。02年NIPAF(Nippon International Performance Art Festival )参加。07年カッセル「ドクメンタ」のアイ・ウェイウェイ作品に参加。同年北京798アートスペースで非商業的アートスペース「OPEN REALIZATION CONTEMPORARY ART CENTER」を始める。

Chaw Ei Thein (チョーエイ・ティン/ビルマ)
1969年生。女性。2001年には友人のHtein Linと作品を超低価格で売る行商パフォーマンスを行い逮捕された。超低価格の場合アウン・サン・スー・チーさんの父親アウン・サン将軍の肖像の入った旧紙幣を使うことになるため政治活動とされた(低額紙幣は超インフレのビルマでは現在実質上流通していない)。2カ月の拘留の後、別の大規模な反政府活動(爆弾テロ)が起き、その捜査の支障になるとの理由で解放される。02年 NIPAF参加。07年に入ってからは、国内事情が悪化しているため帰国できない状態にある。

段英梅(ドゥアン・インメイ/中国)
1969年生。女性。数少ない「北京・東村」*1の女性メンバーの1人。栄栄に東村の作家(馬六明、朱冥など)のポートレイトやパフォーマンスの写真を撮ることをアドバイスした。東村の作家による「名もない山の標高を1m高くする」(95年)にも参加。98年ドイツ移住。マリーナ・アブラモビッチ*2にパフォーマンスアートを学ぶ。東村時代の自画像の作品から一貫して、真摯に「自分」を成立させているもの(ジェンダー、社会環境など)のありかた、構造を追求している。自画像を描いた女性は彼女が中国美術史上初めてだったと思われる(革命前、美術にとって(も)女性はオブジェクトであり、革命期・革命後も女性が美術に参加することは文学よりもまれであったから)。

*1北京郊外の村。1993年ごろから家賃の安さに若いアーティストが移り住むようになる。従来の絵画や彫刻というスタイルでは、自分たちを表現しきれないという思いからパフォーマンスアートを試みる作家が増える。数々の重要なパフォーマンスが作家の住居(スタジオ)で行われる。95年夏公安の取り締まりが激化、数人のアーティストが拘留されるにいたり、自然壊滅した。東村出身の作家の多くは現在中国現代アートの売れっ子である。

*2 Marina Abramoviċは1946年旧ユーゴスラビア生まれの女性アーティスト。1970年代よりパフォーマンスを始める。97年のヴェネチア・ビエンナーレでは骨を磨き続けるパフォーマンスで、グランプリを受賞。 越後妻有アートトリエンナーレ2000では古い民家を改装した「夢の家」を 制作した(現在も公開中)。彼女の学生を荒井はもう1人知っている。Nezaket Ekiciというトルコ系ドイツ人の女性パフォーマンスアーティストである。

舒 陽(シュー・ヤン/中国)
1969年生。男性。画家、評論家、編集者、役者でもある。2000年の「OPEN Art Festival」では、オーガナイザーとして逮捕される。中国初の現代美術雑誌『新潮』(2000-01年。01年政府のオーナーへの圧力で廃刊)副編集長。2001年以降黄鋭を助けて北京798アートスペースの立ち上げにかかわる*。2002年NIPAF参加。役者としては、2003年東京の「ハイナー・ミュラー」フェスティバルに「紙老虎(Paper Tiger Studio)」グループの一員として来日。2003年以降「DaDao Festival」を毎年開催。中国のアンダーグラウンドのパフォーマンス、およびドキュメント(写真)を積極的に国外に紹介している。2006年国際交流基金「美麗新世界:当代日本視覚文化」中国側コーディネーター。

*北京798アートスペース(798は地番)は、今やニューヨークのソーホーよりも面白く、お金が動いていると言われる画廊街である。2000年ごろほぼ20年ぶりに北京に帰ることができた黄鋭(ファン・ルイ)が、旧国営工場の一角にスタジオを構えたのがそのきっかけ。旧国営工場は50年代に建国記念として東独政府が建設したバウハウススタイルの建物群からなっている。国営工場がつぶれ、安くバラ貸しを始めたのを機に黄鋭がスタジオとして借り、内部をリフォームした。黄鋭の働きかけにより、徐々にアーティストのスタジオ、現代美術の画廊(たとえば東京画廊など)、レストランなどが移ってくる(天井が高く、サンルーフからの自然光はほかでは特に得がたい)。そして、彼はそれらの友人たちと共同で798を運営していった。しかし、近年大手のデベロッパーがこの区画全体の権利を手に入れたため、家賃が高騰し、建築群の改造等が何のプランもなしに行われ、以前からの住人の運営が無視されるようになった。黄鋭は1978年、北島、芒克ら文学者と「今天」という伝説的総合芸術雑誌を創刊。それを母体に先鋭的なパフォーマンス、朗読会、展覧会等を行う。それは文革(そして革命)以後初めてのアバンギャルド活動であった。しかし、80年初頭弾圧され多くの同人は外国に逃がれた(黄鋭は日本へ)。

89年の6/4(天安門事件)以降は日本のパスポートを持った黄鋭でも帰国が難しかった。

KUM Soni (クム・ソニ)
1980年生。日本で生まれ、育つ。在日コリアン3世。California institute of the Artsにて修士課程修了。東京芸術大学大学院博士課程 先端芸術表現科に在学中。02年アメリカ、カリフォルニアにあるHighwaysPerformance Spaceにてパフォーマンスを初演。07年北京「OPEN Art Festival」参加。同年フィリピン・マニラにアーティストレジデンス。映像作家として活動し、アメリカ、ブラジル、ドイツ、デンマーク、中国、フィリピンなどで作品を発表。

kum soni photo

劉るーしゃん(リュウ・ルーシャン/中国)
1979年北京生。在日中国人。筑波大学にて国際関係学士修了後、中島平和財団奨学生として渡英。ウィンブルドン・スクール・オブ・アートVisual Language and Performance研究科にて、ビデオ、ライブアート、サウンドインスタレーションなど、さまざまな創作活動を行う。ディアスポラ・アートを通して、グローバル化における移民文化とコミュニケーションの変容について考察し、国境、多文化、アイデンティティ、差異をテーマとするライブアートプロジェクトを提案。作品はドイツ・ポツダム国際学生映画祭(2003)、FOYLEアイルランド映画祭(2005)、イギリス・スカイテレビパフォーマンスチャンネル、ブリストルメディアセンターにて上映される。06年よりイギリス華人アートセンターのヤングアーティストスキームに選ばれ、作品の研究発表を行う。近年は「ボーダーランド」(この国とあの国の間で、どこにも属さない場所)というコンセプトに基づく作品制作を展開。07年VITAL国際ライブアートフェスティバル、フランスのロングACTIONパフォーマンスアート祭に参加。

李文(リー・ウェン/シンガポール)
リー・ウェンはシンガポール生まれで、現在はシンガポールと日本を行き来しつつ、タイ、イギリス、インド、ポーランド、パキスタン、ドイツ、カナダ、メキシコなど世界各地でパフォーマンス、インスタレーションを展開させている。1999年以降はブラックマーケット(ドイツを中心とするパフォーマンス集団)のアジア人では唯一のメンバーとしても活動している。リー・ウェンのパフォーマンスおよびインスタレーションは、しばしば個人や社会システムにおけるイデオロギーや価値体系を暴き出し、疑問を投げかけるというものである。彼は80年代後半、サラリーマン生活を経て比較的遅いデビューをしたが、またたくまに注目を集めた。初期にはシンガポールのアーティストヴィレッジ*1の仲間たちとの活動が多かったのだが、次第に頭角を現しキャリアを重ねた。今までに第3回アジアパシフィックトリエンナーレ(1999)、第6回ハバナトリエンナーレ(1997)、クアンジュービエンナーレ(1995)、第4回福岡アジア展(1995)などのシンガポール代表を務めた。リー・ウェンといえば、イエローマンで知られているが、「イエローマンの旅」シリーズでは、イエローマンが世界各地に現れ、多様に変化する現代の状況を吟味するというものである。彼はいくつかのパフォーマンスをシリーズにしている。例えば「ゴーストストーリーズ」や「ネオババ」などのシリーズである。それらの作品で、アートに対する比較的保守的な考えに疑問を投げかけ、東南アジアのコンテキストを国際的な現代美術の流れに調和させようとしている。05年にはシンガポールの文化勲章を受章した。

*1 アーティスト・ビレッジは、シンガポールにおいて1986年にできた非公式なグループである。タング・ダ・ウーをはじめとする主要なメンバーたちは、鶏小屋や農家を改良したアトリエで、いままでの慣習にとらわれない新しい方法で実験的な作品をつくりだした。グループによる活動は、実験や交流の場となった。リー・ウェンは、1989年からグループに加わつた。彼にとって、その影響は非常に重要な要因である。アーティスト・ビレッジは1990年にアトリエを失ったが、さまざまなかたちでその活動をつづけている。

lee wen photo

田上真知子
1971年生。オノヨーコの本を読んで、パフォーマンスアートの表現力に魅了され、渡米。2001-06年は、東京の大塚にてフリーアートスペース、out-lounge(アウト・ラウンジ)の企画、運営を手掛けた。07年都電を借り切った「ゼロ次元以後のアクションアート」では加藤好弘から、20代の作家まで9人のパフォーマンスを2日間にわたって紹介した。自身の作品は「いかに風景を意識化していくか」をテーマに「サバサバとした運動体でいること」と名付けてドイツ・中国・東京等で発表。

川端希満子
1972年生。96年よりNIPAFに参加。1999-2001年に彼女の行ったパフォーマンスは、日本を含め、イギリス、アメリカ、中国、タイ、インドネシア等では、今ではもう伝説になっている。「I am not an artist. I am a sex worker.」というコンセプトのもと、かなりの問題作を試みたため。2000年「ジャパン・ソサエティ」(米・ニューヨーク)の同パフォーマンスでは、終演後、観客との活発なディスカッションが繰り広げられた。06年あたりから少しずつ活動を再開した。現在も彼女は私たちの無意識の中に潜むジェンダーについての作品を手掛けている。

荒井真一
1959年生。1982年美学校で吉田克朗から銅版画を学ぶかたわら、サエグサユキオ、久住卓也、ホシノマサハル、赤木能里子と「赤木電気」を結成、即興パンクおよびパフォーマンスを始める。83年「天国注射の昼」における「日比谷野音、赤ペンキぶちまかし事件−川俣軍司に捧ぐ」で、公園管理事務所から永久使用禁止を言い渡される。その後「大昭和発電」(桑原正彦、久住と)、「現場の力」(サエグサと)、「福福物語」(鈴木健雄、谷川まり、サエグサと)に参加。99年以降作品「Happy Japan!」などでソロ活動。2007年はドイツ、イギリスでも作品を発表するが、大体は年3−4回、アジア諸国で公演する。06年東アジア(フィリピン、中国、タイ、インドネシア、香港)の5作家を招き「大東亜共栄軒」を企画。日本での公演はその作品の性格上、非常にまれ。

備考
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URL:http://www.araiart.jp/08toua.html