作家コメント
墓を掘る。子供向けの墓穴ゆえそれは簡単に終わるはずであった。墓地の片隅に僅かばかりの土地を求め、弔いの意味も込めて一人で作業を始める。
墓穴の縦横の目安をロープで囲み、四隅に杭を打ち込みおおよその作業手順を考える。何から初めて良いのかわからず少し逡巡するが、思い切って囲いの真ん中から掘り始める。土は朝からの雨に濡れ、重くまとわりつく。せめて土が乾いていてくれたら作業もはかどるのだが。
小降になっていた雨が、また強く降り始める。四隅の杭を目印に墓らしき形を作っていく。くるぶしが隠れるくらいの深さになった時、河川用円匙から細用丸匙にショベルを変える。ここからはひたすら深く真下へと掘る。雨がますます強くなり、掘り進むにつれて墓穴は水を張った風呂桶のようなっていく。
水をかきだし、泥をすくい、投げ捨てる。同じ作業を繰り返す。腕に若干の疲労を感じるが作業を続ける。雨がますます強くなる。掘り進めるも壁の土が柔らかくどさりと崩れ落ちる。
再び水をかきだし、泥をすくい、投げ捨てる。壁が崩れる。水をかきだし泥を投げ捨てる。壁が崩れ、水をかき、泥を捨てる。壁と水がごっちゃなって崩れる。
壁が崩れ水が流れ込み壁が崩れる。泥をすくい水をかきだし壁が崩れ投げ捨てる。壁が崩れ水が流れ込み壁が崩れる。投げ捨てた泥が水に流され戻ってくる。
穴はまったく深くならない。雨も止まない。月は雲に隠れ見えない。水が流れ込み壁が崩れる。疲労が感じられ腰が痛みだす。しかし、作業を続ける。作業を続けるが穴はまったく深くならない。墓を掘る。素人に墓を掘ることは可能なのであろうか。たかだか子供ひとりを埋める程度の穴も素人には難しいのであろうか。疑問が頭をかすめるが、直に忘れる。ひたすら掘り続けなければ、穴は水に流され、泥に埋まってしまう。ひたすら掘り続けなければならない。穴が出来上がるまでひたすら掘り続けなければならない。
『ペデロ・ビカリオは屠殺人の腕っ節でナイフを引き抜くと、ほぼ同じ場所をもう一度突き刺した。「妙なことに、ナイフを抜いても血がついてませんでした」ペデロ・ビカリオは検察官にそう証言している。「少なくとも三度は奴を刺しましたが、血は一滴も出ませんでした」(予告された殺人の記録/ガブリエル ガルシア・マルケス)』