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2011年3月28日(月)−2011年4月16日(土)

渡辺兼人  写真展『忍冬・帰還』

13:00-19:00 日曜休廊 最終日-17:00

作家略歴    開催のごあいさつ

© kanendo watanabe

© kanendo watanabe


展示内容
モノクロコンタクトプリント約10点、四つ切サイズ約10点、大全紙サイズ約3点展示予定

 作品販売のご案内



 

作家略歴

  1947 東京に生まれる
    1969 東京綜合写真専門学校卒業
    1982 第7回木村伊兵衛賞受賞


       

個  展   

1973   『暗黒の夢想』ニコン・サロン(東京)
  1974   『神秘の家、あるいはエルベノンの狂気』シミズ画廊(東京)
  1981   『既視の街』ニコン・サロン(東京)
  1982   『逆倒都市』ツアイト・フォト・サロン(東京)
  1983   『逆倒都市U』ツアイト・フォト・サロン(東京)
      『類と類型』オリンパス・ギャラリー(東京)
  1984   『逆倒都市V』ツアイト・フォト・サロン(東京)
  1985   『人形1973-1983(制作 四谷シモン)』
      『ジャック・ザ・リパーに関する断片的資料1973』つくば写真美術館'85(つくば市)
  1987   『YAMATO-TOKYO』Gスペース(東京)
  1988 『YAMATO-大和』ツアイト・フォト・サロン(東京)
  1990   『YAMATO-F』朝日ギャラリー(東京)
      『彷徨・写真・城市』パストレイズ・フォト・ギャラリー(横浜)
  1992   『L'ATALANTE』平永町橋ギャラリー(東京)
      『昭和六十六年 葉月』ツアイト・フォト・サロン(東京)
  1993   『YAMATO1987-1990』ピクチャー・フォト・スペース(大阪)
  1994   『神無月迄』ツアイト・フォト・サロン(東京)
  1996   『水無月の雫(参)』ツアイト・フォト・サロン(東京)
  1997   『水無月の雫』江寿画廊(京都)
  1998   『半島』エッグ・ギャラリー(東京)
  1999   『半島』江寿画廊(京都)
  2000   『孤島』銀座九美洞ギャラリー(東京)
      『(島) 光の暴力』エッグ・ギャラリー(東京)
  2003   『渡辺兼人 写真展』何必館・京都現代美術館(京都)
  2004   『陰は溶解する蜜_の』ツアイト・フォト・サロン(東京)
  2005   『孤島』アートプランニングルーム青山(東京)
  2006   『雨』ギャラリー山口(東京)
  2007   『摂津國 月の船』ギャラリー メスタージャ(東京)
  2008   『雨の営み』巷房(東京)
  2010   『忍冬・帰還』何必館・京都現代美術館(京都)

グループ展   

1985   『パリ・ニューヨーク・東京』つくば写真美術館'85(つくば市)
  1986   『日本現代写真展』(バルセロナ、マドリッド、ビルバオ、バレンシア巡回)
  2008   『シネフィルと写真』ギャラリー メスタージャ(東京)

出   版

1980   『既視の街』(新潮社)
2003   『渡辺兼人 写真集』(何必館・京都現代美術館)

コレクション

東京都写真美術館(東京)
  A.O.I. ギャラリー(U.S.A.)
  ツアイト・フォト・サロン(東京)
  何必館・京都現代美術館(京都)
  川崎市民ミュージアム(神奈川)
  エッグ・ギャラリー(東京)
  江寿画廊(京都)
  ギャラリー メスタージャ(東京)



ギャラリーメスタージャは、来る2011年3月28日(月)から4月16日(土)まで、渡辺兼人写真展『忍冬・帰還』を開催いたします。当ギャラリーにおいては2007年9月の『摂津國 月の船』以来、約3年半ぶりの個展となります。

渡辺兼人は1970年代から、東京や地方の街の風景を中判サイズのカメラ、モノクロフィルムで撮り続けています。

今回の『忍冬』は琵琶湖・沖島周辺を5×7の大判フィルムサイズで撮影、『帰還』は約30年ぶりに『既視の街』(第7回木村伊兵衛賞受賞)を撮影した場所とほぼ同じエリアを同じく6×6で撮影したものです。どちらもモノクロの風景ですが、同じ作家が撮影したものでもフィルムサイズをはじめ、その成り立ちはまったく異なっています。

『忍冬』では渡辺がこれまでほとんど使用したことのなかった大型カメラを使用することで、何がどう変化し、あるいは変化しないのか、『帰還』では30年という時間的な隔たりはどう作用しているのか、していないのか・・・。

写真家の極めて私的な領域に見えるその行為(機材の変更・自作の反復)において、それら乳剤の上の幾重もの「見る」ことの層にわれわれが気づいたとき、突然それは公的領域に反転し、そこから「また、ふたたび見る」ことのはじまりを写真家とわれわれの相互が同時に体現するのだといえます。そして渡辺の写真が「何も写っていない」からこそ、乳剤の上で発生するそのあまりに写真的な現れがより一層われわれの眼を穿つのでしょう。作者の「変わりようがない」(アサヒカメラ2011年1月号)という言葉は、写真はその「見る」ことの際限ない繰り返しであることを象徴しているかのようです。

是非ご高覧いただきますようお待ち申しあげております。