作家コメント:people of the city
40センチ四方という、重くて大きな8×10カメラで手持ちスナップを撮ると、ピンボケ・手振れ・露出オーバー・アンダー等で写真がなかなか写ってこない。フィルム現像を経て、プリント作業時にその他の要素を求めると、考慮に値する写真は50カットに一枚位が現実的な数字となり、作品として選択する以前に、技術的な要因で破棄される写真が自ずと増えていく。
しかし、明らかに非効率なこの手法は、氾濫する情報や先入観から自身を解き放ち、シャッターをきる行為が、自身の存在構造の最も奥にある直感と連動する可能性を秘めている。その他1000mm×1250mmの印画紙に、この偶発的とも言ってよい写真を出来るだけ情報量の多いプリントに制作したい、という思いもあり、大型カメラを使用している。
自分がなぜ都市にいる人々を撮影するのかといえば、自分自身が幼少の頃から都市生活者の一人である、という理由が大きいと思う。そして人に関わる写真、変化し続ける都市の姿に、興味があるのは確かだ。都市疎外論的な無力性・無規範性・社会的孤立などのイメージの増幅。都市が人々の無力感を高めるのでなく、無規範にするわけでもなく、孤独感を高めるわけでもないというフラットな思想。それら全てを、一瞬の時間で枠に留めてしまう写真という手段を用いる事で、普遍的な時間の流れのようなものを、表現できるのではないかと思っている。その中で8×10スナップ写真という、不完全ながらも有機的な土台に形成される一枚の写真を視る時、シャッターをきった瞬間の直感的側面は、新たな批評的側面として姿をあらわし、それをまた昇華することで少しずつではあるが、発展させていけるのではないか、身体感覚の維持を試みながら反復作業を行う事で、ぼんやりとした理想に近づく可能性があるのではないかと感じる。
赤暗い暗室にて、現像液の水面で揺れている印画紙に、都市というカオスの中を流れゆく人々がゆらゆらと浮かび上がって来た時に、この作業が現在を見つめる唯一の方法であり、自分の仕事であると再度確認するのである。