2023年12月7日(木)-12月23日(土)渡辺兼人写真展『鎌倉』
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作家略歴 |
1947 | 東京に生まれる | |
1969 | 東京綜合写真専門学校卒業 | ||
1982 | 第7回木村伊兵衛賞受賞 |
個 展 |
1973 | 『暗黒の夢想』ニコン・サロン(東京) | |
1974 | 『神秘の家、あるいはエルベノンの狂気』シミズ画廊(東京) | ||
1981 | 『既視の街』ニコン・サロン(東京) | ||
1982 | 『逆倒都市』ツアイト・フォト・サロン(東京) | ||
1983 | 『逆倒都市Ⅱ』ツアイト・フォト・サロン(東京) | ||
『類と類型』オリンパス・ギャラリー(東京) | |||
1984 | 『逆倒都市Ⅲ』ツアイト・フォト・サロン(東京) | ||
1985 | 『人形1973-1983(制作 四谷シモン)』 | ||
『ジャック・ザ・リパーに関する断片的資料1973』つくば写真美術館'85(つくば市) | |||
1987 | 『YAMATO-TOKYO』Gスペース(東京) | ||
1988 | 『YAMATO-大和』ツアイト・フォト・サロン(東京) | ||
1990 | 『YAMATO-F』朝日ギャラリー(東京) | ||
『彷徨・写真・城市』パストレイズ・フォト・ギャラリー(横浜) | |||
1992 | 『L'ATALANTE』平永町橋ギャラリー(東京) | ||
『昭和六十六年 葉月』ツアイト・フォト・サロン(東京) | |||
1993 | 『YAMATO1987-1990』ピクチャー・フォト・スペース(大阪) | ||
1994 | 『神無月迄』ツアイト・フォト・サロン(東京) | ||
1996 | 『水無月の雫(参)』ツアイト・フォト・サロン(東京) | ||
1997 | 『水無月の雫』江寿画廊(京都) | ||
1998 | 『半島』エッグ・ギャラリー(東京) | ||
1999 | 『半島』江寿画廊(京都) | ||
2000 | 『孤島』銀座九美洞ギャラリー(東京) | ||
『(島) 光の暴力』エッグ・ギャラリー(東京) | |||
2002 | 『水無月の雫(弐)』銀座九美洞ギャラリー(東京) | ||
2003 | 『渡辺兼人 写真展』何必館・京都現代美術館(京都) | ||
2004 | 『陰は溶解する蜜鑞の』ツアイト・フォト・サロン(東京) | ||
2005 | 『孤島』アートプランニングルーム青山(東京) | ||
2006 | 『雨』ギャラリー山口(東京) | ||
2007 | 『摂津國 月の船』ギャラリー メスタージャ(東京) | ||
2008 | 『雨の営み』巷房(東京) | ||
2010 | 『忍冬・帰還』何必館・京都現代美術館(京都) | ||
『忍冬・帰還』ギャラリー メスタージャ(東京) | |||
2011 | 『忍冬・帰還』Beansseoul GALLERY(韓国・ソウル) | ||
2012 | 『水脈の貌』ギャラリー メスタージャ(東京) | ||
『水脈の貌』Beansseoul GALLERY(韓国・ソウル) | |||
2013 | 『真菰は』ギャラリー メスタージャ(東京) | ||
2014 | 『野老』ギャラリー メスタージャ(東京) | ||
『真菰は/野老』Beansseoul GALLERY(韓国・ソウル) | |||
2015 | 『半島/孤島/水無月の雫』ツアイト・フォト・サロン(東京) | ||
『泡沫の声』ギャラリー メスタージャ(東京) | |||
『泡沫の声/半島』Beansseoul GALLERY(韓国・ソウル) | |||
『雨はどのように降るのか』ギャラリー メスタージャ(東京) | |||
2016 | 『PARERGON(パレルゴン)』ギャラリー メスタージャ(東京) | ||
2018 | 『雨の雨域』Gallery KOBO(東京) | ||
2017 | |
『断片的資料・渡辺兼人の世界 1973?2018』 全7回 AG+ Gallery (横浜) | ||
2019 | 第1回 2017.9.14 - 9.30 スナップ -『声』 | ||
第2回 2017.11.9 -11.25 都市 ① -『既視の街』 | |||
第3回 2018.2.1 - 2.17 都市 ② -『逆倒都市Ⅰ・Ⅲ・Ⅳ』 | |||
第4回 2018.4.12 - 4.28 都市 ③ -『YAMATO - TOKYO・大和・F』 | |||
第5回 2018.6.7- 6.23 旅 - 『彷徨・写真・城市』、『L'ATALANTE』、『摂津國 月の船』 | |||
第6回 2018.11.1-11.17 島 - 『半島』、『 (島)光の暴力』、『 孤島』 | |||
第7回 2019.5.16 - 6.1 草・水 - 『水無月の雫』、『雨』、『忍冬』 | |||
2019 | 『摂津國 月の船』渡辺兼人写真展 Beansseoul GALLERY(韓国・ソウル) | ||
2020 | 『声』IG Photo Gallery(東京) | ||
2021 | 笠間悠貴企画展 “風景の再来” 『6×9の春』Photographers’ gallery(東京) | ||
『墨は色』Gallery KOBO(東京) | |||
2022 | 『Material』ツアイト・フォト・サロン国立(東京) | ||
『鮠の傷』GALLERY mestalla(東京) | |||
2017年9月から渡辺兼人ワークショップを開催中(k.watanabe.workshop@gmail.com) |
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グループ展 |
1985 | 『パリ・ニューヨーク・東京』つくば写真美術館'85(つくば市) | |
1986 | 『日本現代写真展』(バルセロナ、マドリッド、ビルバオ、バレンシア巡回) | ||
2008 | 『シネフィルと写真』ギャラリー メスタージャ(東京) | ||
2023 | 『DOUCE FRANCE』GALLERY mestalla(東京) | ||
出 版 |
1980 | 『既視の街』(新潮社) | |
2003 | 『渡辺兼人 写真集』(何必館・京都現代美術館) | ||
2015 | 写真集『既視の街』東京綜合写真専門学校出版局 | ||
コレクション |
東京都写真美術館(東京) | ||
A.O.I. ギャラリー(U.S.A.) | |||
ツアイト・フォト・サロン(東京) | |||
何必館・京都現代美術館(京都) | |||
川崎市民ミュージアム(神奈川) | |||
エッグ・ギャラリー(東京) | |||
江寿画廊(京都) | |||
ギャラリー メスタージャ(東京) |
開催のご挨拶
今回渡辺は、個人的に愛着のある極楽寺周辺から、江ノ島電鉄沿いに長谷を通り、鎌倉駅へ上がりながら、6×9判のネガカラーで撮影を行いました。無限から二十メートルほどにピントを固定し、ファインダーを極力覗くことなく瞬時にシャッターを切る、というスナップショットの手法を主に選択しています。
渡辺の作品は、初期の代表作『既視の街』から続く中判モノクロ写真による静謐で、重厚なものとして知られていますが、2015年には35mm判のスナップ写真で構成した『泡沫の声』、2021年の『墨は色』からはネガカラーの作品を発表しています。
今回の『鎌倉』では、今までの撮影方法をおおよそ反復しつつも、渡辺が率直に「カラー写真でやってみたかったことをやってみた」と言うように、今までになく直感的で軽やかな作品になっています。是非ご高覧ください。
主催者
彼岸への帰去来
笠間悠貴
光の状態が変化する。雲の行き交いによって、太陽から差し込む光が翳り、あるいはまた照りつける。木々が作り出すトンネルの向こうには、眩しいほどの夏の日差しが垣間見えている。暗いこちらから見たその向こう、道の行く手には幻のように、輝く「墓場」がのぞいている。今という時間は、止まれとばかりに祈るほど素早く過ぎ去ることもあれば、持て余し退屈にさえ感じることもある。渡辺兼人は、ふわりとゆらめく光と時間に、絞りもシャッター速度も大きく構わず、レンズを向け続ける。「鎌倉」に移ろう露光の安定しない光景は、その分、瞬間ごとの揺らぎを留めている。 1980年以降、40年以上にわたって毎年個展を開催してきた渡辺は、長らく黒白写真だけを発表し続けてきた。2020年代に入ってから、本格的にカラー写真に取り組み始め、東京湾岸部を変転する天候の中で撮影した「墨は色」を、そして室生犀星が幼少期に過ごした金沢にある寺院・雨宝院から出発してその周辺を撮った「鮠の傷」を、それぞれ2021年と2022年に発表した。これらに続く第3弾のカラー作品が、今作「鎌倉」である。タイトル通り江ノ島電鉄の沿線で、2023年の初夏に撮影がおこなわれたものである。鎌倉駅周辺では中央食品市場や御成通りを、そして、長谷駅周辺では細い小径の続く宅地を、極楽寺駅周辺では切り通しを撮っている。 渡辺の写真には、これまでのキャリアの中で、繰り返し登場するある共通したモティーフがある。それは街角に点在する、時代から取り残されたような名もない空間である。閉店したカフェ、草が覆う空き家、裏街に流れる溝川など、用途の定かでない解放区だ。本展に出品する19点の写真には、それに加えて、鉄道橋や水道橋を含む橋の作品が4点、踏切が3点、さらに、遠近のコントラストを示す奥まる道が9点と、彼岸と此岸が去来するアナロジーの場所を数多く収めている。こうした対象を画面の中で強調せず、散らばらせ、脇役かのように扱う。そのために一つのテーマへ収斂することなく、散文的で冷静な批評性を保つ作品となっている。 ところでこれら銀塩のアナログ写真は、運動が物質へと転化したものである。光の波動がハロゲン化銀を分解し、銀の粒子として定着した痕跡だ。「遍在=あまねくあるもの」から「偏在=ある特定の場所にあるもの」へと置き換わる物理現象を写真と呼ぶとして、暗闇の果ての奥底にある光に「死」が写るのは、光を取り込む暗箱の比喩として読み取れなくはない。けれど「墓場」が象徴する意味もまた、プロセスそのものである写真においては、いずれ消え去っていく。定着した光は、長い年月の間に、再び全てが暗闇へと溶解する。渡辺の写真を含むあらゆる写真は、時の中で意味を失い、ただの物質に還元され、最後は物質としてさえも消えゆく、その途上にあるのだ。しかし、だからこそ、何かを永遠に保持しようとする神経症的な欲動にではなく、消え去る宿命を単に受け入れ続けることを渡辺は選択する。その場に居合わせた光景をカメラに任せて記録し、その刹那に全てを投企する。いつの日か物質として消えてしまうにせよ、写真が写真であったという「出来事」自体の、不朽への賭けとして。
(かさまゆうき/写真家・写真研究者)